書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

「僕には無理です」といいたい

 

 はじめから無理に決まってることを、さも当たり前かのように頼んでくる人がいる。限りなく無理に近いけど頑張ればできることを、しらばっくれて、頼んでくる人もいる。人間味が薄い。「難しいことを頼むようで申し訳ないのですが」すら付けてくれない。しらばっくれているのである。人の痛みを知らないから、その人はそんな行動をとるわけで、僕はそんな人に出くわしたとき、残念な人だなぁと悲観をしてしまう。声を張りあげてNOを言うエネルギーが惜しいのだ。背伸びすれば成し遂げられてしまう頼まれ事ということもあるので、その場で二つ返事で(僕のことを良い人と思ってもらえるように)つい着手してしまう。

 そもそも苦手な人に「良い人」と思ってもらう必要等どこにある? 僕は知っている。一番良いのは無理ですと言い切ってしまうこと。無理を通そうとしているのは向こうなのだから、それ以降の問題については、無理を通せなかった向こうが考えればいいこと。知ったこっちゃない。ちゃんと相手の目を見て断る。それがこちらにも相手にとっても、今後長い関係を築いていく上では重要なことなのだろうと思う。こちらの痛みやストレスの重みを相手は思い知る事でしょう。本当の本当に我慢できなければ、いっそのことブチ切れてやろう。滅多にそんなことしない僕だけど。というか本当はしたくない。こちらは言われるがままに何かを遂行することを目的としている訳ではない。あなたの願いを何でも叶えるベンリヤではない。というかそんな人間は存在しない。

 これらは、その人に届けようとしている言葉ではなく、一方的に私が今ここに書きつけているだけだから世間一般の人たちは、私がここに書き記していることは「愚痴」と判別するだろう。それでも構わない。それでも私はもっと人生を自分らしく、主体的に生きていたい。だから一日も早く言えるようになるまでだ。自分を守る「無理です」という言葉を。