書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

人生の主役は自分である

めんどくさいという感情は、おそらく、いま自分が自分の人生のなかにいるという感覚が欠落したことにより生まれるものだと思う。日々に忙殺され、週末しか呼吸をしていない私たちは、よく忘れてしまう。よりによって大事なことから忘れがちだ。人生の主役は誰だったかとか、家族のささいな変化とか。今日の天気情報とかゴミ出しの日とかよりももっと大事なのは、これからの人生においてずっと続いていく事柄だ。大事な人のこと、大事な自分自身のこと。今日1日を無事に終えられたのは、自分だけの力じゃない。学校の先生友達、職場の同僚上司。いろんな影響を受けながら、人生の時間は流れている。それに自分で気づいて初めて、生かされているのだという自覚がうまれる。あらたまった感謝などいらない。大事な人にただ微笑んだり、すこし優しい言葉遣いを心掛けるだけでいい。明確な敵などいない、自分のいきすぎた思い違いだったと各自が気づくだろう。その瞬間、みんなそれぞれが主役になり、世界はもう少しだけ丸みを帯びる。

頭のなかを書き出せば

頭のなかを紙に書き出すこと、それは、掻き出すことと同義である。悩み事すべてが排除されたような錯覚におちいる。案外この程度だったのかと。そもそも人ひとつの脳で抱え込めるキャパには限界がある。たとえ10〜20個抱えていようと実際にとりかかれるのは、数個であろう。悩みが無限にあっても、手は二つ。一つずつやっていこう。期限づきのものから優先して手をつけていこう。工夫に工夫を重ね、毎日必要なことだけやって帰宅するサラリーマンは素敵です。

人生は深刻なことだけ考えよ

どうでもいいこと、ふつうのこと、しんこくなこと。物事をわけるとだいたいこの三つになる。まえ二つは考えるまでもない。勝手にいつの間にか解決されている日常事だからだ。人がほんとうに向き合わなくてはいけないことはやはり、最後のしんこくなこと。仕事でも日常でも、そこにさえ注力していればなんとかなる。少なくともその日の夜はちゃんと寝つけられる。心の余裕は、脳の余裕。思考の変化は習慣の変化。いかようにもカスタマイズできる、改善の余地が無限にあり続ける人生。これだから人間はやめられない

うまくドリップできた日は仕事がよく回ります

ハンドドリップで挽く朝。目分量で豆を投入し、ミルでがしがし無心で挽く。できた。自分の顔が映り込むくらいの漆黒の一杯。ごくり。うまい。うまくドリップできた朝は、その日いちにちうまくいく気がします。

付け焼き刃で仕事をしている新人について

基礎がなってない、くちだけ達者な新人がいる。てきとうな知識はまったく役に立たないどころか、お客様に迷惑しかかけない。お客様にお叱りを受けて困るのも自分だというのに。目の前の仕事が片付いたらそれでいいと思ってるらしい。なまぬるい。こういうタイプは実際に痛い目に遭わないといけない。仕事ができないことによる、ほんとうのふつごうを身をもって体験すべきだ。