書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

ブログにGWはない

GWに仕事がないのとは訳がちがう。ブログに関しては例外であり、GWであっても関係なく書き続けたいと思う。一切の強制が無く、100%自分の意志のみで実行するもの。ふだん仕事で精力を搾り取られてないぶん、力強いものを描けると思う。1日2回更新だって、しちゃうかもしれない。一日をふしだらに過ごした日は、その罪悪感からブログを書いて遅れを取り戻そうとするかもしれない。色々できちゃうんだ、ブログは。いずれにせよブログがあって良かった。大量に時間が余ったとしても、ジブンを一回一回見つめ直すことができる素晴らしい趣味をもてて良かった。ブログにGWはない。ブログに飽きることも今後ない。ブログを続けられたことのご褒美として、今この瞬間があるのだと思う。

爆飲爆食

今日は個人的肉の日。昼に牛カツ、夜に焼肉を食べた。案の定胃の中が肉と脂でえらいことになっとる。完全なる暴飲暴食だ。でもどの食事も誰かと一緒にたべていた。つまり濃密で特別な時間を過ごしたというのは間違いなかった。唯一の後悔は、昼に牛カツ、夜に焼肉という食べ合わせをしてしまったことだ。いや夜に焼肉を食べるのは確定していたことだから、急遽昼に突然入った牛カツが問題なのだ。いやいややはり濃厚な時間を過ごした事実には敵わないのであって‥ とこのまま永遠に続きそうな葛藤ともに、巧飲巧食という言葉をひらめいた。この言葉は天からの贈り物だ有り難い。しかし後悔先に立たず。食うたもの元に戻らず。連休後も続いていく大事にしたいこの身体。連休中の暴飲暴食に気をつけたい。

必要なネガティブ

たとえば、完璧に仕事を終えたぞ!というときでも後からふと冷静になったりする。最悪を想定する、とまではいかないが、悪い結果をつい想像してしまう。本当はどこかミスってるのではなかろうか。蓋を開けてみれば、案外うまく事が成っていることのほうが圧倒的に多い。それがわかっているのに、なぜ人はネガティブなほうを一瞬でも想像してしまうのだろう。

 

その意味は2つあって、一つは、次の失敗をしないようにより慎重になるためだと思う。もう一つは、失敗しても心に傷を残さぬようにするためだと思う。事前に心の準備をすることで、未来に人は傷つきすぎることを抑えられるのだ。

 

あなたがネガティブなんじゃない、そのネガティブによって、むしろあなたは心から守られようとしているのだ。

 

いやなこと・想像するのは・自分のため

字余り、心の俳句。

幸せの沸点が低いんです

なかなか手に入らない外国のお菓子を店で見つけてお家で食べたとき、幸せです。

無印良品でレジ待ちなしで買物できたとき、幸せです。

当日雨の天気予報のなか傘を忘れて焦っていて、結果降らなかったとき、幸せです。

 

幸せの沸点が低いがゆえに

ささいな幸せを頻繁に感じられます

幸せが周りにたくさんあるんです

 

2秒でクリックしたくなるタイトル

 ブログとは、書く内容も去ることながら、それと同等かそれ以上に「ブログタイトル」も重要な要素だと思う。最初に目につくものであり、ユーチューブで例えると、いわゆるサムネに値するものだ。いや、ユーチューブなんかは画面を止めているだけでオートでサイレントで画面が動き出すから、視聴する前からであっても軽微な判断くらいは可能だ。引き返すことができる。

 

 しかしブログタイトルというのは例外で、どれほど技術が進歩した現代であっても、そんな高性能な動きはしない。いや今後もその部分の進化は見込めないだろう。クリックしたら次の瞬間、文章の世界へ否応なく強制ワープさせられる。読む側にとっても明確な「読む覚悟」をもって、その別次元に飛び込んでゆくことになるのだ。

 

 最終理想は、本タイトルにもある通り、「人が2秒でクリックしたくなるタイトル」をつけることだ。わりと荷が重い思考労働ではあるが、ソレが降ってきたときの喜びはブロガーでしか味わえない格別のものだ。

 もう、ブログの中身を考えずに、ブログタイトルだけを一日中ひたすら考えていたいと思うほどの中毒性である。ちなみに、今回のこの2秒でクリックしたくなるタイトルはどうだろうか。本当にそうなっているだろうか。答えははてなスターのみぞ知るようだ。