書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

モーツァルトを聴くだけで

 


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最近ここ一、二週間はモーツァルトを聴いている。とくに大好きというわけでも、追っかけというわけでもないけれど、ふと聴きたくなった。そういうところが古典音楽の、いやモーツァルトの引力なのかもしれない。


モーツァルトを聴くと、こんないいことがある。たとえば今日の私。仕事を定時に切り上げた。もちろん、ツァルト様の音楽を聴くためだ。とまぁ、いとも簡単にプライベートの時間に突如侵食してくるのが、古典音楽の、いやモーツァルトの引力なのかもしれない。


そして私は帰り道、おもむろに耳という耳にイヤホンをぶち込んだ。さらに2秒でスポティファイを立ち上げた。指はもう「モ」の動きしかしない。そしてわたしは次の瞬間、1800年代のロンドンにタイムスリップをした(イメージ)


ご機嫌で家のドアを開けると、さらにパッと視界が開けた。私が電気のスイッチを入れたせいだ。もう、そこからはノンストップ。スーパーで買ったうどんをゆがき、適当にアレンジを加えて、胃の中へ押し流した。ロンドンバンザイである。


そう、そこからはノンストップ。お風呂の湯沸かしボタンを押し、先程摂食に使用した皿類等を適当にあしらい、なんとそのままの勢いで、洗濯機のボタンを押してしまった。おまけに、土日に干して乾いていた洗濯物を片腕一本でしまいこむ始末。私としたことが。


ちょっと、今日は、
やり過ぎだ。