書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

全人類に言いたいこと

 さきほどNHKのドキュメンタリーで良いことを知った。海に棲む生物たちの子育てについての特集番組だ。海は陸と比べて圧倒的に面積が大きい。その中で一組が出会うのは本当に奇跡である。

 

 まず紹介するのはタツノオトシゴ。オスが子育てをすることでも有名だ。映像によれば、オスのお腹に小さな穴が開いていて、そこにメスが卵を流し込むそうだ。約300流し込まれるが、生き残るのはほんの一握りだ。そして子育てもオスが引き継ぐ。役割を終えたメスは、次の卵を育てるための栄養を蓄える旅に出るらしい。

 

 つぎは深海に棲むアンコウ。宇宙人の悪魔みたいな顔をしている。大きいほうがメス、サイズもいわゆるアンコウサイズ。一方、オスはメダカみたいに小さい。そして驚くべきことに、オスは一度メスに出会うと、皮膚に噛みついて一生離れない。

 小さなオスの体はそのままメスの血管に取り込まれ、目や頭までも吸収されて、最後は精巣だけを残したまま、メスの体と完全に結合してしまうのだ。稀に打ち上げられるメスのアンコウの死骸には、精巣と化した複数のオスたちがくっついた状態で発見される。

 

 ただでさえ出会える確率の低い広大な海の中で、さらに深海ということで、このような究極の生存戦略をとったとも言われる。

 

ほんと、愛の形っていろいろあります。

 

 

 そして、ここにきて僕が全人類に言いたいのは、人って常々うまく生きようとしていますよね。効率性を優先したり、お金に目が眩んだり、無理に人から好かれようとしたり。何がライフハックだ、ばかばかしい

 

タッちゃんやアンちゃんを見よ!

彼らは生きてるだけ。

ただ生きてるだけなのに、なぜこんなにも美しいのだろうか。

それはきっと、己の100%すべてを生きることに注力しているからだ。

彼らは生きてるだけ。だけど必死に生きている。

 

生きてるだけでそれ以上何を望むのだ。

地上に立ってるだけでそれ以上何を望むのだ。

本能が頑張ってくれるさ

心配で心配で何も手につかないとき

実力をすべて発揮しなければならない日が近いとき

 

頭で考えなくとも、結局本番になれば、すべて本能が頑張ってくれるさ

 

という強い気持ちをもつこと

 

ひとつの頭で答えが出ないのは当たり前

 

かといって、ふたつの頭で考える気までは起きない

 

そういう横着なところも当たり前

 

一旦すべて忘れよう

 

きっと、本能がすべて解決してくれるさ

すべてコーヒーが解決してくれる

自分の問題も、仕事の問題も、心の奥底に抱えた問題も。それはすべて解決してくれる。

 

ぼくはカフェでも家でもどんな場所でも、一杯のコーヒーを飲むということは、時間を買うことだと思う。コーヒーが与えるリラックス効果以上に、コーヒーを飲むという行為そのものが、時間を前進させてくれる効果をもつと思っている。

 

人任せならぬ、豆任せであしたもそれなりに生きていこう。半ばあきらめに似た境地になれるのもコーヒーのナイスなところだ。

幸せだなあ

我ながら、最強の5文字だと思う

「幸せ」という人生の絶対目的に対し、語尾の「だなぁ」でそれとなく詠嘆している感じ。しかし同時に全身で受け止めている感じ。

 

手帳に色々書き込むより、この5文字を書くだけですべて救われる。他のことがどうでも良くなる。

 

そして、何より嬉しいのが、こんなステキな一瞬の言葉を思い浮かんだときが一番嬉しい。

 

明日はもっと最強な言葉を生み出したいな。

それはそのまま「いかによく生きるか」という心の在り方にもなる。

たかが仕事で脳を使い切るな

たかが仕事で100%自分を使い切る人がいる。そういう人はたいてい帰宅しても無気力であり、料理を作る気など当然あるはずもなく、人間にとって一番簡単な摂取と排泄を本能のままシているだけなのだ。

 

それは心底もったいない。ほんとうに輝けるのはアフターファイブだというのに。この時間は、神様から与えられた7時間だというのに。

 

だから仕事はあえて余力を残しておきたい。

もうひと踏ん張りのところで、仕事を切り上げるのが最もいい塩梅だと思う。

 

それ、ほんとに今日やらないといけない仕事ですか?

脳の休息より、今のそれを優先しますか?

たかだか仕事で消耗され尽くさない方法を常に模索している。