出産予定日が来週です。部署の垣根をこえていろんな人が心配・応援してくれている。出産というものは決して二人じゃなく、まわりのみんなで出産するのだというどこか頼もしい心持ちだ。二人で育て、互いの家族で育て、会社で育て(ボクは育休取得予定でその間他の人がフォローしてしてくれる)、社会で育てる(補助給付等の意味で)
改めて、出産とは共同行為なのだと感じる。泣いても笑っても来週です。家族がふえる。と同時にその日から、二人だけの生活がいったん区切りを迎えるということでもある。子が独り立ちするまでは三人での生活だ。いや四人かもしれないが。
今まさにつくづく実感する。人の人生というものは、だれかに尽くすようにできているのだと。ほんとうに、自分だけの時間というものが今まで当たり前だと思っていた。しかし、それは一種の幻想であり、そう思っていたうちはまだまだ半人前なのだと今では思う。
子が生まれる喜びはまだ体験していないが、喜びという漢字をゆうに超えてくるものだと想像している。子が生まれたとき専用の漢字が当てられてもいいくらいのことなのだろう。子が生まれるときはこれで、その他のことは「喜」とする。
兎にも角にも男としてできることは、ただそのときを、焦りすぎることなく、未来のお母さんに不安を与えず、泰然自若にじっと待つことなのだろう。