書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

「うまく生きる」と「幸せに生きる」はちがう

 

「いかに精神を乱さないよううまく生きていくか」が人生の目的になっているという悲しい人達へ。コミュニケーションを円滑にいかせて、学校や職場で人間関係を難なくやっていきたい。いわゆる、形だけうまく生きようとしている人達だ。例えば書店にはそういう本がよく並んでいる。確かに興味をそそられ、思わず手にとってしまう。なぜならみんな生きることをしているからだ。全員共通という、全体条件をただターゲットにしているだけ。ずいぶん横着なことだ。この上なく横柄でラクマーケティング。つまり、生きている人間みんなに関係のあることである。しかし、結局のところ「うまく生きること」と「幸せに生きること」はかなり違う。だからみんな、平均以下の自己肯定感を日々なんとなく騙し騙し持て余し生きている。「うまく生きる」はただそれなりに、問題がないように卒なく日々を過ごしたいと願う「平穏消極型」である。それに対し、幸せを覚悟した生き方というのは「危険積極型」とでも呼ぼうか。まぁこの際呼び方なんてどうでもいいのだが。文字ではなく概念として、いやただの群像でもいい。それぞれの人の心の腑に落ちたならばそれでいい。だがしかし未だ結論は出ず。大丈夫だ、今はそれでいい。たかだか30の若造にそんなことが分かれば世界はきっとひっくり返る。しょせんこの世はツギハギだ。目に見えない左胸のほうにある心というやつですらしょせんツギハギなのに。さて、ということで本議題の結論は少し先の未来の自分へ譲ろうと思う