書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

どうしても明日が来てほしくないときにすること

 

 どうしても来てほしくない日が明日のとき、僕の場合は、一通りその出来事のもっともらしい未来の結末を隅々まで想像する。誰しもがこのように、来てほしくない日の出来事を(想像する・想像しない)という最初の選択肢に迫られることだろう。

 

 もしも僕が(想像しない)を選択してしまったなら、気が気じゃなくなると思う。人によってはそちらの方が気兼ねなく夜を迎えられるという人もいるだろう。しかしやはり(事前に想像しない)という選択は一過性のものに過ぎずプラスマイナス・ゼロの働きでしかない。いや、時間だけが無防備に経過していくという点においてはむしろマイナスの働きである。

 

 

 絶対に来てほしくない日もあれば、絶対に一日でも早く来てほしい日もある。それが人生だ。むしろそういうのが先に分かってるだけでも相当ラッキーではないか。

 

 重要なのは、感情を上手くコントロールしつつ、平常心を保ったカッコイイ自分をいかに長く保てるかである。決戦の日を迎えようとする今日の自分に、明日を迎え撃つ覚悟はあるかと問いかける自分が。