書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

新しい慣用句はもう生まれないのか

 

慣用句において、辞書に載っているもの、NHKアナウンサーが使用するもの以外については、もう今後生み出してはいけないのだろうか。「マリトッツォ」しかり「リベンジ消費」しかり、新語はどんどん産声をあげいてるのに新慣用句のほうはまったくの鳴かず飛ばずである。

 

たとえば、

月に土地をつくる=さも意味がありそうであるが、内容は意味を伴っていないこと。

このように、たまには地球を飛び越えてよいではないか。そういう時代なんだし。

 

 

時代が変わり、さまざまな概念や言葉が生み出されているのに、新たな慣用句を誰も作ろうとしない。まるで日本中の誰もが一致団結し固く口を閉ざすかのように。そのことを口にすらしない。たとえば、

 

 

【ふるい】

塞翁が馬 →ガチガチの中国古来の故事成語

棚からぼたもち →ぼたもちそもそもたべない

布団がふっとんだ →羽毛布団なら尚よかった

 

 

【ベスト・オブ・あたらしい】

二階から目薬

まず「2階」という概念、「目薬」という現代人の必需品。近代の慣用句だということがすぐに分かる好例。

 

 

まるで我が貧弱なる語彙がただ露呈される形となっただけの、異様なサンプルの少なさではあるがそこはお許しいただきたい。気の利いた「令和式あたらしい慣用句」は思いつき次第、隣人等へ試運転して参る所存でござる。