書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

なぜ人はすぐに決めてしまわないのか

 

・部下からある件について対策と検討をしてほしい旨を伝えられた課長は、すぐに決断をしない。

 

・相手のご両親への挨拶を先延ばしにする。

 

・同窓会への参加不参加の返事をすぐにしない。

 

 なぜ人はすぐに事を決めてしまわないのだろう。そもそもすぐに決めないという選択をしている時点で、結果はすでに決まっていそうなものなのだが。つい先日私も、学生時代の仲間から同窓会の誘いがあった。とても個性的で10年以上も連れ添う大好きな人たちだ。しかし来年の参加についてはお断りした。大切な人たちであるが、毎度のように一緒にいたい訳ではないからだ。他の予定が入っているからとかいう物理的要因以外に、こちらの生活リズムや気分のノリはその時々で変わるものである。

 

 以上のように、明確な自分の意志をもって、スパッと決断したときは清々しいものがある。不思議なのは、この快感を知っている同じ人間がそれでも尚決断を先延ばしにすることがあるということである。それはやはり、迷っている今まさにその瞬間も「快」であるからではないかと思う。

 

 複数の未来が未だ手のひらの上にある、その選択権を行使しようかしまいかの、いわば何でもできる疑似神状態が「快」を生み出しているのではなかろうか。ただ単に機が熟すのを待っているからということもあるだろが。それはそれで、まるで半分は自分でもう半分は環境が決めてくれるような錯覚に陷るので、当人にとっては楽なのだろう。私個人としては、その姿勢は半分責任逃れのように映るが。

 

 ともあれ、総じて「判断」というのは人によって様々な方式が取られるので、奥深くむつかしいものである。ただひとつ間違いないのは、判断の仕方如何で、その人の本質まで透けてみえるということである。