書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

何かしら書いてりゃ救われる人生だ

 

殴り書き、インク染み、破れた紙ページ。紙に文字を直書きするということは、その書かれた内容以上に、他の情報もつれてくるということ。染みたインクや穴の空いた紙は、そのときの自分の情緒が乱れていたのか、何かに追われていたのか。いずれにせよ、あまりよろしくない精神状態であったことが推察される。

 

そして誤字脱字という現象については、ネットにかきこむデジタル情報も、紙に書き込むアナログ情報も同じ。するときはするし、する人はする。いずれの場合においても、注意散漫になっているときに誤字脱字は起こりやすい。

 

だがそもそもの話として、「何か書いたあと」と「何か書くまえ」では雲泥の差がある。何も書かなければ誤字脱字すらできない。何も書かなければそのときの心理状態を思い起こすことすらできない。わたしは、何も書かなければうまく命を繋ぐことができない。

 

もしも誰かから命じられて、今後いっさい私情に関するあらゆることを何も書くな、と言われたら。私の人生は、空白のページのように真白になってしまうことだろう。

 

でも大丈夫。私はこれから何が起きようとも何かしら書き続ける。書くことは、自分のためであり、誰かのためである。書くことができなくなったときは、自己も他者も誰一人何一つ許容できなくなることと同義だと思うから。

 

大丈夫、何かしら書いてさえいれば救われる。そう信じてきょうも世界を写し取る。