書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

「仕事がすべて」じゃない

 

仕事に行き詰まりそうになってる君。仕事なんてなくなればいいなんて思ってる君。嫌いな上司いなくな〜れと思ってる君。ぜんぶ、正しい。

スーツを着て、敬語を使い、上席に挨拶をしたり顔色うかがったり。嫌いな人と共に仕事をしなければならないときも。僕らはむりやり同じ方向をむかされている。いわば人間として普通ではない状態。社会に存在意義があるのは間違いないが、個人レベル当事者レベルで考えたとき、仕事という行為は不自然だ。本当はみんな本心でやりたいことが別にあるのに、あからさまに自由を抑圧されている。

個人経営者や投資家は気軽でいいなと思ってしまう。だが彼らは彼らで生みの苦しみがある。

どちらの人達にも共通しているのは、人間は考えることをやめれば人間らしくなるということ。その時点で人生を放棄していることに等しい意味をもつ。時々誰かが決めてくれたらいいのにと挫けることもある。だが人生を人任せにした時点でそれは崩壊へと向かう。

だから仕事に対しての自分なりのセルフイメージを良くても悪くても、しっかり持ちつづけることが大事。そして理想を言うなら、手帳等に記録すると良い。そのネガティブイメージが気まぐれなものによるのか、ホルモンバランスによるのか、季節性のものなのか多少の小要因が明るみになるはずだ。その成果として、根拠のない不安を解消し、根拠のある自信へとつながるのだ。

みんなが同じ方を向いて、背筋を伸ばし、椅子に座り続けるだけで随分異常なことだと分かる。今日抱く思いが、一時的な類のものでないと気づいたとき、人生という大きな流れの中でできる最大の決断というのも時には必要であろう。

自分の人生の操縦士は誰だ、主人公は誰だ。ときには熱くときには冷静にときには強かに生き抜くのだ。限られた自分の人生だけの時間は誰にも奪う権利はないし、指一本ふれさせない。

自分の人生は、他の誰でもない自分だけの人生だ。この事実だけは、生きとし生けるものすべて胸を張って堂々と大手を振って宣言していい。絶対に。