書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

不愉快と言われたほうが不愉快だ

 

ある業務で間違いを指摘されたので、間違いだけを正して書類上で女上司に再提出した。それが上司の癪に触ったのだろう。次のように言われた。 

 

間違えた理由を伝えることなく、間違いだけを無言で訂正されるのは不愉快です。と。

 

これを言われて思ったのは、不愉快と言われた身の僕の方こそメチャクチャ不愉快だということ。この人とご飯に行くような良好な関係にもないので、剥き出しの言葉を喰らった。どうしたんですか、機嫌でも悪いんですか?と言えるような間柄ではないので言葉の刃物がそのまま突き刺さる。

 

不愉快と言われ怒りのスイッチが入った僕は、上記のように言われた直後力なく「はい…わかりました…」とうなだれるしか出来なかった。その伝達事項を同じ業務ペアの人に伝えるときに「不愉快」なんて言葉はもちろん僕は使わなかった。なぜなら使う必要がないから。潤滑油の反対語、人に何かを伝える際に邪魔になる邪魔油だそんなものは。だから第三者に共有伝達するときも要件だけを手短に言ったのだ。いきすぎた言葉は使わない、内容だけを伝えた。無駄な感情を連想させないように。

 

ひとつ心に決めていたのは、その上司に対して絶対に「すみません」とは言わないということ。それまで言ってしまえば完全に劣勢に立たされ、本当の意味での上下関係になり、こちらの精神衛生上も良くないからである。

 

人を不愉快にさせるアンタのほうがよっぽど不愉快だ。言葉を使う側は、自分の好きなタイミングで発しているので平気かもしれない。だが、言葉を使われた方は一切の心の準備がないまま発せられるのだ。完全なる無防備の相手にひどい言葉を一方的に浴びせかけるのは人として恥ずかしい。それが年上ならよっぽどである。みなさん、どう思いますか。

 

中年になると、こんなツマラナイネガティブワードセンスになるのか。いやそういうことでもないでしょう。いずれにせよ、しょうもない言葉を平気で使ってくる人達は「あのときあんな言葉を人に使ってしまった」と自責の念に駆られながら渦の中を永久に藻掻きつづけていればよろしい。