書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

減る液体、増える時間

 

 朝のコーヒーは時間を生み出すと思う。コーヒーが減るたび、思索が進む。その液体が尽きたときには思索が一旦まとまり、次の行動へ移るときである。もしも冷えた水道水だった場合、一瞬で飲み干して終わりだろう。やはり良い時間を過ごすには、温い珈琲が最適解なのだ。

 良い時間を過ごすということは、言い換えれば自分の時間を増やしているということ。面白いことに、コーヒーが(物理的に)減るいっぽう、時間は(価値的に)増えるのである。

 もっと面白いことに、この事実に気づいたのがつい先般だということ。我がコーヒータイムは何年にも渡る。それが何故いま新たに気づくことがあるか。それはいま私がいつもと違うカフェに来ているからなのかもしれない。ここに来てまた新たな問題が発現してしまった。次回、場所と思索の関係性。乞うご期待?