書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

僕のブログは流行に左右されない

 

書くザトウクジラの重読者の方ならお気づきのことと思うが、僕のブログはあまり流行に左右されない。なぜなら、主にこのブログが自己の内面を綴ったものだからである。その時時の人間関係や自身の個人的な問題、何事かの定義についてとことん向きあうことから本ブログは始まっている。だから当然ネタが切れることもないし(人間は毎分のように何かしらを思考し続けているので、そもそもネタが切れるという土俵に居ない) 全てをここに吐露したときはスッキリとした心晴れやかな気持ちまで沸き起こるのだ。そして、あまりにも自己の内省に特化する内容ゆえに世間一般で言ういわゆる雑記ブログとも少し毛色が違っている。人は考えることをやめない。ここまでは皆が万人そうなのだが、僕はさらにそこに「発表したい」という欲がたまたま加わっているため、徒然なることを飽きることなく日々ボヤき続けられているのだろう。ブログにはいろいろな形があっていい。継続できること、収益化できることが必ずしも正義じゃない。僕は、生涯に一曲だけでも自分の歌った曲を世間でヒットさせた歌手を尊敬するし、名ドラマに一度だけ出演した主役じゃない役者も尊敬するし、一発ギャグで流行語大賞を取った芸人のことも物凄く尊敬する。自分が日々生み出している気づきや発見が、誰か一人にでも刺さり、いつまでも心のなかに抱きしめてもらえるのならこれに勝る喜びはない。ブログ開設3年半以上になる今でもその気持ちは変わらない。本来の「書く」出発点は全部自分のため(内発的動機)で、そのお釣りとして、ありがたいことに誰かの心に響いてくれている(外発的動機)ようだ。そのバランスが良いということも然ることながら、僕の場合は、それに該当するのがまさに「文字による発信」という手段であったのだろう。文字に内省を残すことは、もはや習慣を超えて性格となってしまった。喜ばしいことに。単なる習慣上ではなく、僕は今後も性格上書くことを辞められないのだと思うと、ふしぎと息苦しいなんていう気持はまったく無く、反対にまるで自分の居場所が永遠に続くかのような夢見心地がするのである。