書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

私は「時間」に対する自己暗示を根本から変えねばならない

 

 たとえば朝の時間、ぎりぎりまで家にいて、バス停までダッシュする。もはや日課と化している。そして稀にバスを逃す。寝坊したわけではない。朝からやりたいことが多すぎるのだ。コーヒードリップ、弁当作り、トースト焼き、食器洗い、稀に浴びるシャワーまで。これだけのことをしていると朝の1時間はあっという間に過ぎ去る。それならばもう5分でも10分でも早起きすればよいもの。しかしそれを私は長らく諦め続けてきたのだ。おそらく学生の頃から。

 

 人間には不思議なところがあって、ぎりぎり努力して、結果それが報われてしまえば、成功時と同様にアドレナリンが放出される。つまり脳には同じ成功体験として刻まれる。だから危ない橋を渡っても、結果的に成功したのなら、また同様に危ない橋を渡ってしまうらしいのだ。

 

だが、私はそろそろ(いい歳の節目であるし)、それを改めなければならない。

昼の電話当番、早めに行かなければという思いはあってもギリギリになり、人様に迷惑をかける。

朝のあのバス停ダッシュも、運転手と乗客を待たせ時間を奪っていることに変わりない。

時間に対する自己暗示のこれまでのツケが回ってきたことを切に感じる。時間で失われた信頼を取り戻すことは容易ではない。時間革命、そろそろ、はじめナイト。