我々人間は、社会に出て時間を経るごとに、背中に背負うものが年々大きくなっていく生き物だ。そうして、どっこいしょの魔の手に知らず知らずのうちに毒されてゆくのである。面倒臭さと同義としてしばしば用いられる概念である。我々人間はだいたい、面倒臭いこと(本心でやりたいと思っていないこと)が、社会にいるときは8割方がそれである。どっこいしょと口に出さないにしても、心のなかでそれを思っていれば同じことで、もはやそれは、口に出しているか出していないかの違いだけなのである。
どっこいしょ、どっこいしょ。果たしてこの言葉の存在意義はどこにあるだろう。他人からこの言葉が漏れ出たのを訊いたとき、少なくともこれを訊かされたほうの身としては良い気はしないだろう。当然ながら発言者自身にもいい影響があるとも到底思えない。たとえば我々がシャンプーをするとき、最初は頭から洗って、次は右肩からにしようかそれとも左肩からにしようか等と毎回考えている訳ではない。そのなかに「どっこいしょ」が入る余地は皆無である。そういうときまさに、最小限の労力で最大限のパフォーマンスが発揮されているときなのだ。
シームレスかつ持続的に日常動作をつなげることで悪魔侵入の余地を与えない。我モンハンの双剣使いなり。攻撃イズマックス防御よ。どっこ〜と口に出す暇があるなら先に手を動かす。今私ももうすぐこれを書き終えるだろうから、それと同時に明日の弁当のおかずの卵焼きを作り置きするために、冷蔵庫の中の卵パックに手を伸ばそうとするだろう。どっこいしょなんて、杖をつくようになってから言いまくればイイのだ。