書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

究極の人たらし

 

 僕は昔から、具体的にいうと小学5年生のころから人を楽しませることが好きだった。このように書くと、なんだ今からお笑い芸人にでもなるのかとお思いになる方もいるだろうが、まぁ最後まで聞いてほしい。小学5年生のころに人を楽しませることが好きになった理由は、クラスの面白い人ランキングで2位をとったからである。当時この結果に一番驚いていたのは、この僕だった。恥ずかしくて、あまりにも身分不相応だという思いが強かったため親にも未だに言ってない。ちなみに1位は明らかにクラスの人気者だったスポーツ万能で活発な男の子だった。ではそんな彼の次に位置する2位の僕の取り柄は何だったのか。今では記憶も薄れ、その原因を他人事のように分析する他ない。おまけに当時の私はスポーツ万能でも、女子に特別モテたわけでも、成績優秀だったわけでもない。おそらくその最たるものは「言葉」だったのではないか、と分析する。私のもつ思考、言葉が人を引きつけ、結果的に「面白い人」とされたのではないか。

 大人になった今でも、「天然だ」「独特だ」「なんか面白いヤツ」と言われることにも慣れた。大概の勤め先で似たような感想を言われるので、私もいい加減あきらめがついた。それと同時に「自分のことは自分が一番分かってるなんてウソだ」と思った。心も体も成長してから初めて「わかる」こともたくさん存在している。先程の小学5年のときに面白い人認定された原因分析もそうだ。当時の自分は、へぇそうなんだと他人事程度にしか思っていないだろうが、今では、絶対あのとき内心嬉しかったに違いないという見解に変わっている。

 最近は、お菓子の贈り物を職場の人たちに渡そうとして紙袋を片手に5袋ずつもっていきなり登場して笑われたりとか、学生の頃にカップ焼きそばUFOを作ろうとしたがお湯と一緒にソースを入れてしまい、湯切りと一緒にすべて流してしまったこととか。いろいろあるけれど、誰かがいて笑ってもらうことでそこに喜びを見つけたりして、ほんの小さな幸せを受けとっている。みんなに好かれる事はできないけれど、なんか楽しい人だなと思ってもらうことはできる。僕はこれからも、究極の人たらしを目指して、歩みをやめないことにする。