私が本を買うようになったのは大学生のころ。それまでは、ジャンプの立ち読みや参考書の購入くらいでしか本屋に立ち寄ることはなかった。本屋に足を運ぶ楽しさは、社会人になり歳をとるにつれ段々わかるようになってきた。10年にわたりオリジナルのものさしで本を選んできた私が、2020年の節目に整理しておく。
表紙
紙の本において最初に視界に入る大事な部分が表紙である。だから、ある意味本の内容よりも最初に目に飛び込んでくるものなので、そもそも表紙のデザインが自分の好みと合致するのかということはかなり重要になる。表紙のデザインは、本当にその本が自分の手元に長いあいだ置いておける相棒になり得るかの重要ポイント。
過去に私が一度経験したことがある。本の内容も著者のことも大変気に入ったのに、残念ながら、醜い表紙だけが邪魔をしてレジに向かわせなかったことがあった。本というのは、自分の所有物になりそれを読んで実際に利用している時間よりも、圧倒的に、棚に保管している時間のほうが長い。読まれていない間の本のもつ佇まいも私は大事にしたい。
まえがき
どのような経緯、スタンスで生み出された本なのかを知る、人間でいう自己紹介にあたる導入部分。そこがないがしろにされていたり、良く聞いたことのあるありきたりな文言であった場合、本の内容がどれほど良くても読み進めたい熱が冷めてしまう。この著者、本ではこんなことを言っているが、本性はこのような人なのかとか余計な勘ぐりを入れてしまう。
実感しやすいのが、作業療法士やカウンセラーの書く本のまえがきだ。上手い人になると、まえがきを読んでいる時点で、その人が直接こちらに語りかけているような錯覚に陥る。そうなれば最高で、職業柄、人の心理を知りつくしているプロであるカウンセラーが書いたまえがきは美しいと思う。
刷と発行日
ここまでで、表紙もまえがきも本の内容も良かった。自分の本選びのものさしをクリアしている。そうなれば私にとっての本選びは大詰めである。さいごは本の最後尾に目を走らせる。刷と発行日が書かれているページにたどり着く。当然、重版が多くかかっている本がより売れているということである。とくにそれが顕著なのが、岩波文庫の古典である。発行年1950年、100刷超えなんてものがザラにある。本が昔から読み継がれてきたという唯一の証が「刷」なのである。
ソロー「森の生活」より古典こそが最も崇高な記録に残された人間の思想であり、これに代るものが一体どこにあるだろうか?
ではまだ日の浅い、新刊本の場合はどうするか。心配無用。その場合でもちゃんと楽しみは用意されている。自分が一度バイヤーの気分になってみるのである。これは売れる!と決めつけて買ってみるのだ。そうして、その数カ月後に書店でもう一度その本を手にとり、最終ページに目を走らせてみる。「刷」の部分をみて、自分のセンスが正しかったのか答え合わせをするのだ。もしまだ0刷のままだったら、時代がまだこちらに追いついていないだけだから特に落ち込むことはない。
(補足)著者紹介について
東京大学医学部卒業、ハーバード大学卒業といったキャリアも信頼に足る一つの指標である。あとは、座右の銘など、著者をより知る情報が載っていたりもする。まえがきで分からなかった著者の本性、人となりを確認できるポイントだ。より本文に厚みが増すこと間違いなしである。
読書ジャンルの変化
学生のころは、小説に教養書にバランスよく触れられていたが、社会人経験が長くなるほど現実思考が増していき、小説から明らかに遠ざかっていることを肌で感じる。手に取るとしても賞作家の出した話題本や、ビジネスマンに人気の池井戸潤さんの本になったりして、小説で冒険をしなくなった。どうも現実主義になっていけない。単純に本好きとして寂しい事実だ。啓発本はタメになるし、日常生活ですぐ生きるので即効性が高く読書の効果の確認がしやすい。
それに比べて小説は、すべてが虚構の物語でなおかつ初めての世界なので、いちいちストーリーや登場人物を覚えながら読み進めていく必要がある。だが、ビジネス書に比べ心を動かす感動体験を得られやすい。私はもっともっと小説を読まなければいけないと思っているし、そこにしかない素晴らしい世界が広がっているのを知っている。だからこれからも、お気に入りの小説を見つける努力は惜しまないようにしたい。
最後に
とある読書について書かれた本がある。その中の一文が強烈だった。
いい本を見つければ即購入すること
本はいつ絶版になるか分からないし、次もまたその本に出会えて必ず買えるという保証もない。だから本は、最初の出会いで即購入するのが一番いいというのだ。読みたい熱も一番高いときに。
これからどんな世の中になっていこうが、何かを伝えたいという人と何かを知りたいという人の関係性は無くならない。それが人に元来備わったものであり、だからこそ文明社会が回りつづけているからだ。
その素敵な関係性、想いの連鎖がつづく限り、私は本との出会いの中で人生に磨きをかけていきたいと心から願う。人の思いは、本でつながる。人の言葉は、本でやしなう。
読書のない人生は、私にとって、野菜のない食生活のようなもの。読書がなくても生きてはいけるが、貧しく栄養価の低いものになる。人生の師がいればいるほど、人生はより良きものになる。