書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

一週間分の反省集積場

 

今週まるまる、自前の手帳に何も記していない。手帳が白紙ということはそれだけ燃え尽きたということである。手帳というものはつくづく便利なものだ。何かしても記録に残るし、たとえ何もしなくてもそれは「何もしなかった」という記録になる。存在意義の高いものである。さすが必要に駆られた人類が開発し、長きにわたり愛用されてきただけはある。常用の必要はなく手元に置いておくだけでその役割を果たしてくれるのだから。話が逸れたが、まれに私は仕事に忙殺され、自炊に忙殺され、睡眠に忙殺される。最低限度の人間活動で手一杯になるのだ。結果、空白の手帳を生むことになる。特に金曜夜から土曜朝にかけてはどうしても脳内で一週間分の反省が集積する。あのときこんな言い方をしてあげたほうがよかっただろうか。今週は牛丼にラーメンに塩分摂りすぎたよなあ。死ぬ間際ならぬ週終わりの走馬灯である。人はなぜ過去をふりかえるとき、自分にとって良くないことから思い出すのだろう。良いことが思い浮かんでくるのは必ず二の次であり、良くないことが思い浮かんできた後なのだ。次、同じ失敗をしないようにするための人間遺伝子に備わった防衛反応の類なのだろうか。ただ、金曜夜が土曜朝に変わりやや前向きになっていることもまた事実である。過去を受け入れるということは、現実を受け入れるということなのだとこういうとき思う。人は忘れるようにできている。なるほどありがたい。いちいち覚えていたら身がもたぬ