ここ最近一、二ヶ月のうちに出会った言葉だ。何かの本で読んだ。自分が死んだときにどういう記事があがるか。考えてみたいようで、考えたくないことである。いずれにせよ、この一文が相当にセンセーショナルな言葉ということに変わりない。
1時間以内に書くという時間制限付きだから、取り繕う暇もない。いやむしろ、一生分の姿を今から最高の形で記そうというときに着飾るなんて真似をしたら、その行為までも人生の一部になってしまいそうだ。どんな人生であったとしても、最期くらいは堂々と胸を張りたいものだ。と、死ぬ間際を想定している今も結局ありきたりなことしか思いつかないあたりまだまだ、まだまだやることがあり過ぎる!ということを実感するのだ。
死亡記事は書かない。書けるはずがない。今の中途半端な状態で書いたとしても恥の上塗りであろう。何回でも言うが、やりたいことがまだまだある。これから起こる人生のメインイベントだけであと何十年楽しめることか。だけどもしも、ふと嫌なことを言われたり、面白くない一日だったり、自分のことを嫌いになったりしたならば、このセンセーショナルな一文を思い出したい。いちいち腹を立てたり、悲しんだりしているほど人生は長くない。なによりもそんなことで自分の死亡記事の貴重な余白を奪われたくない。