書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

映画「ミッドナイトスワン」感想

 

 映画「ミッドナイトスワン」を鑑賞した。結論から言うと、生半可な覚悟で観る作品ではなかった。死の直前に、人生でみた映画が走馬灯のように流れる時間があるのなら、この映画は間違いなく流れるであろう。以下、一部記憶違いがあるかもしれないが、あらすじを交えながら記していく。 

 

 

序盤あらすじ


 草彅剛演じるのはいわゆるトランスジェンダーであり、いわゆる男性が女性の格好をしてもてなすバーで働いていた。名前を凪沙(なぎさ)という。凪沙は小学生のときからすでに、水泳の授業で海パンを着用することに違和感があったという。実家にもバーで勤めている現状、自身の外面と内面のギャップについて打ち明けられずにいた。


 同時に、従兄弟のシングルマザーに育てられていた女子中学生の一果(いちか)は、母親の虐待に苦しめられていた。経済的に厳しい家庭のため、母親が水商売でなんとか生計を立てるという生活だった。酒で酔っぱらって眠りこける母親を職場から一果が連れ戻すこともあった。その状況を心配した凪沙の母親が短期間でいいからと一果の面倒を見てほしいと頼み込んだのだ。


 凪沙は最初抵抗したが、対する一果は無表情で無反応だった。一果は辛いことがあると、自分の腕を思い切り噛む癖がある。溢れたどうにもならない感情の 彼女なりの切り抜けかたであった。他一切の何に対しても興味が湧かなかった。凪沙との初対面は新宿駅。なんの刺激のない生活に訪れた小さな違和感から物語の歯車は動き出す。さながら、本物の人生のようだ。


 男性の写真を頼りに新宿駅で凪沙を待っていると、そこには黒のサングラスに肩下まで伸びた長髪に赤のヒールを履いている人が現れた。彼はあきらかに女性の容姿をしていた。実家には絶対言わないで、と鋭い目つきでクギを刺す凪沙。十分想像外のことが起きているのだが、ここでも一果はだんまりを続けていた。


 凪沙の家につくと様々なルールを言い渡される。部屋の掃除をすること、風呂は凪沙が一番に入ること、金魚の餌は定期的にあげること等。反応がない一果の視界にまたも違和感があった。それは洗濯バサミに吊らされた、バレエダンサーが腰につける純白のフリフリだった。凪沙がバーのステージで披露するときに使う衣装だった。凪沙がバーに出勤しているときに、家で隠れてそのフリフリを腰につけ、バレエダンサーのように片足でバランスを取ってみたりした。それが一果とバレエの最初の出会いだった。


 一果は、実家から凪沙のもとに移ってきたため一時的な転校手続きが必要だった。凪沙と同行しながらの初めての登校。周囲の視線を集めるには十分だった。そのまま一室へ向かい、事務員のもと転入手続きへ。凪沙を怪訝そうな目でみて、ご親族の方でしょうか?と恐る恐るの質問。凪沙は、世間での自分への反応には慣れきっていた。そうよ、それがどうしたの? 慣れてはいたものの凪沙にとっては苦痛で、なんの意味もない早く終わらせたい時間だった。翌日一果はクラスの男子生徒にちょっかいを出される。ねぇねえ、昨日一緒にいた人ってお母さん?お父さん? 少し間が空き、一果はその男子生徒に対し自分の椅子を真上から振り下ろしていた。


お願いだから問題を起こさないで!頼むからじっとしててよ!私が学校まで行かなきゃならなくなるじゃないの。凪沙に怒られてしまった。


 一果の行動が思春期特有のものなのか家庭環境特有のものなのかは分からない。釈然としない気持ちでの帰り道。ふとバレエ教室が目に入った。30代くらいの女性の先生が、白いフリフリを付けた何人もの女子生徒をレッスンしている。その様子を扉越しにじっと見つめる。先生が一果の姿を見つけるが、目が合うと少女は逃げ出してしまう。なんとか追いついた先生は、一果にバレエ教室のビラを手渡した。よかったらまた見に来てみて、見学もやっているから。


 次の日さっそく一果は教室へ急ぎ足で向かった。迎え入れる先生。来てくれたんだね、今日は見学?それとも体験? 一果は体験を選んだ。もちろんバレエの経験など微塵もない。壮大な舞台音楽が鳴り響くなか、彼女は他の生徒を見様見真似で自分もなんとか食らいつくように体を動かした。もちろん、凪沙にこのことは告げていない…

 

以上、バレエという一つの夢を見つけ紆余曲折がありながらも、一歩一歩夢へ向かう一人の少女。性という壁に阻まれ、自身と社会との葛藤の中、目一杯に藻掻き続ける一人の人間。自分は何者なのか?常にまとわりつく葛藤への自問自答。性別では計れない、もっと大きな「人間」というものの大きな愛にひらすら突き動かされていく物語が本作である。


感想


 草彅くんはどんな演技を見せてくれるのだろうか。その演技は期待のはるか上をいくものだった。女性的なやわらかな表情の機微、声色まで見事に自分のものにしていた。そして、今作によって私のトランスジェンダーへの認識が明らかに変わった。トランスジェンダーの方々のもつ苦悩そのもの、苦悩となる原因の一端をみることができた。作中で印象的な場面がある。


凪沙が会社面接を受けるシーン
女性面接官「そのピアス、素敵ですよね。私も気になっていたんですよね〜」
男性面接官(課長)「僕はLGBTについて勉強していて、講習会にも行ったりしています」
女性面接官「(冷ややかな目で)課長、それはちょっと違うんですよね〜」
男性面接官「え、こういうことじゃないの?ちがうの?」


 凪沙はこの二人のやりとりをただ無表情で眺めていた。まさにこれが、社会と当事者たちの温度差というか「カベ」を如実に描き出しているような気がした。トランスジェンダーについての理解があるとひけらかすのは言語道断だが、女性が凪沙の召し物を女性側の視点で、トランスジェンダーの相手が喜ぶとでも思って、率先して褒める(共感のふり)というのも何か違うということなのだろう。


生物学上の性と、自意識上の性。ここが食い違っていようが本来何もおかしいことはない。ご老体のお年寄りが、気持ちは常に若者のようにアグレッシブであることと何が違うのだろうか。


トランスジェンダーの方々に対する間違った、度の超えた認識を見つめ直し、性別も個性の一部なんだというような枠に縛られない考え方が世の中に少しずつでも広がっていけば、もっといろんな幸せの形ができるはずだ。