書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

流される毎日。

 


f:id:marimoconnect:20200822200342j:image

 

暇さえあればユーチューブ、気休め程度の安っぽい読書、他人の詮索ツイッター。暇をつぶす娯楽はいくらでもあるが、これらは本当の意味で満たされないため、一時の暇をつぶしてもまた次の暇が直ぐにやってくる。欲望のままに行動を続ければ人は人でなくなる。欲望の皮をかぶった化物(モンスター)となる。できることはせいぜい現状を記録することだけ。もしくはポエムを投稿するだけ。無趣味かつ最低限の自己実現欲求しかないからこうなる。カフェに行き人間観察しかできなくなるのだ。太宰治ならこの状況に共感してくれるだろうか。又吉直樹なら共鳴してくれるのだろうか。通知が入れば即アクセス。気になった広告があったから触れてみたら気づけばお買上げしていた。企業の鴨だ。たとえ消費する娯楽が無くなったとしても、それはほんの一時的なことだ。スマホ一つさえあれば、死ぬまで時間の使い方を保証してくれるのだから。だが、果たして本当にそれでいいのか。人間らしい暮らしといえるのか。いずれは人を育てなければならない。勤め先での責任、期待も在籍年数とともに上昇してくる。この生き方はいずれ、綻び、ガタがくるだろう。本当に今の生き方で良いのだろうか。できることは、記録することだけ。しかし、ほんの記録するということが状況の再認識をもたらしてくれる。記録さえできず、ただ心の内側に濁ったヘドロのようにへばりつき、喉の奥に骨がつっかえたような感覚を続けているよりは大いにマシだ。マシだ… 理性では時間は有限であると認識しているが、本能では時間は無限にあると言わんばかりのスローペースだ。腹空けば牛丼を流し込み、家に帰れば無表情でスマホ触り、眠くなれば横になる。流されるな、それでいいのか。この先もゴールのない自問自答はつづく。自粛あかん。ちょっくら明日ドライブ行ってくるわ。