書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

感覚を研ぎ澄ませること.

 

 

元僧侶が執筆した「反応しない練習」という本を読んだ。シンプルなタイトルとは思えぬ、ブッダや仏教が出てきて、想像よりもかなり壮大なテーマであった。至言にあふれた名著であったため、そのたびに手帳に書きこんだ。人は、社会に生きている以上、何かに対し無数に反応している。1.2秒に1つ、何かしらを頭に思い浮かべるくらい人は忙しいという。それほどなのだから、少しくらい外からの刺激をみずから遮断してもいいときがあるはずだ。気疲れし過ぎて、情報に振り回され過ぎて、自分が自分でなくなりそうになる。日々、目が回りそうだ。


筆者は言う。今こそ人間本来のもつ感覚を大事にせよと。小さなことでいい。いま自分は、右足を地面につけて歩いている。電車のつり革を握っている。公園のベンチに座っている。音楽を聴いている。自分のなかで置かれた状況をそのまま言葉にするのだ。すると、驚くほど目の前のことに集中できる。最新の情報機器に頼るあまり、本来の感覚が鈍ってきているためだ。便利すぎる世の中は、脆弱な人間を無数にうむ。スマホの通知、SNSのいいね… 筆者はこれらに対する反応のすべてを「テキトーな感覚」と一蹴している。

 


たった一つのことにも集中できなくなったから、人間は怒りっぽく感情的になっているのかもしれない。

 

もういっそのこと、自分が人間という高慢な認識を手放してみてはどうだろう? 極論であるが、そうすれば少しは自然な皮膚感覚を取り戻せるのかもしれない。

 

極端な感覚麻痺を起こしている我々にはいい薬であろう。本書は実に良い発見であった。


プアな心からピュアな心へ脱皮したい。

 


反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」