書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

本を読むってカンタンだ

 

 


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本を読むことってすごく簡単なこと。なぜなら、他人がたどり着いた正解をただ目で、物理的に追っていればいいだけなのだから。わかったような気になる、人生の成功者になったような気分になる。そのときだけ。

 

一瞬の快感や達成感を得られればいいというのなら話は別だが、一瞬の変化など人間にとって大抵意味のないことだ。僕は危機感をもっている。本を読んだだけで、読んだ気になっていないかということに。他人の正解をただ目でなぞるだけ。印税をキフしてるだけ。読書中、そんな恐怖にふと支配される。負の罪悪が襲ってくる前に先のページへ繰り進めてしまうから、毎度のこと、黒い疑念は小さいまま尻すぼみで跡形もなく消えゆくだけだ。

 

いかんせん本というものは値段が安い。ほぼ何も考えずにワンクリック出来てしてしまう。簡単な行為こそ、慎重に事を運ばなければならない。あとで取り返しがつかなくなることの無いように。読書はすればするほど良いというものでも、共感すればするほどいいというものでもないだろうに。読書とは、自身の今後の成長が伴うかどうかである。過程ではなく、結果に結びついて初めてその人の人生経験の一部となるのだ。

 

ただ、ここまでは本を読むという行為までに限ったお話。読書で得たことを己の信念に取り込み、能動的に行動に移すことで初めて「読書」は完成する。積みっ放し、読みっ放しではない真の読書を遂行したとき、人生が一気に主体的になり、道は一挙に開ける。それが読書なのである。読むだけの行為はもはや読書とはいえない。なおかつ誰でも出来る。ただし、行動をともなう本当の意味での「読書」は、本当はものすごく難しい。鉄は熱いうちに打たねばならない。読後の感動がまだ残っているうちに。少なくとも感動を想像できない人は、感動を作り出すことなどできないのだから。