日本人が100万回している話、みなさんにも経験があるのではないかと思います。僕はいつも、ありふれた話題を振られるたびに「またか」と、半ばげんなりしながらムリヤリ笑顔を貼りつけ返答しているわけであります。
どうしてみんな分かりきったことをわざわざ訊くのでしょう?
特にそれは、僕が社会人になったタイミングで露骨に感じるようになりました。さすがの僕も当時は なんだなんだ、みんな年をとると話題のネタが無くなってくるのか?とそわそわしていました。
そんな疑問をツッコミとともに皮肉をこめて粉砕していこうとするのが本記事の目的です。さぁ、今こそ立ち向かうのです。
5つのありふれた会話の例
①くるまかう?
ーいえ、買いません。公共交通手段がありますし、駐車場代もかかりますので。
(せやなぁ、バスや電車があるもんなぁ。
②結婚式あげるの?
ーいえ、挙げません。挙げるとしても、身内のみで挙げます。
(今そういう人ふえてるもんなぁ、時代やなぁ。
③自炊してる?
ーいえ、自炊してません。仕事終わりに作る気力がありませんので。
(帰ってから作るのしんどいもんなぁ
④年末年始どこかに行った?
ーいえ、どこにも行ってません。人で混みますので。
(せやなぁ、人多いもんなぁ
⑤お酒飲めるほう?
ふーん
(あ、絶対興味ないなこの人)
(てか聞いといてなんやねんその反応)
以下、割愛。
new パクチーたべられる?
分かりきった話、分かりきった相互理解。
分かりきった返答、分かりきった結末。
同じことを復唱するだけの、取ってつけたような相づち。確認作業としてのコミニュケーション。
この不毛な会話のなにがおもしろいの?
とまぁ、今日はこのくらいにしといたります。この記事は随時更新していこうと思っています。思いのほか、負のエネルギー高めの記事となってしまったことをお詫びいたします。
それでは、結びといたします。
こういう話を100万回いや1000万回は我々日本人はくり返してきた
まだ天気の話をしてるほうがマシです
天気は日によって変わるものだからまだ楽しめます
だがしかし、身の上話、好みの話。そんなもんは固定事実であり、話し手の気分によって内容が変わるものでもあるまい。だから不毛なのだ。
僕も知らず知らずのうちに同じ話をくり返しているかもしれない、そんな危機を感じる今日この頃の僕なのであった。
いずれにせよ。
求む、もっと刺激的な会話。