世の中には様々な "去り際" というものが存在します。なにもアラサーのサラリーマンだけがカッコつけて独占していいものでもありません。
でも、私にもそういうときがあるのです。その強引な夢を叶えたものが本記事になります。
お風呂からでるとき
→ "いい思い" をしてから湯船を出ること。あぁ今週末の旅行楽しみだなぁ、久々の同窓会楽しみだぁ。ただ必ずしも未来に限定する必要はありません。この前、新規案件決まって褒められたーーよかったぁ〜と最後に何かを噛みしめて風呂を出る。これが何より重要。
カフェからの去り際
→居着きすぎて、自分の家のように感じてしまったら即店を出ます。そもそも、家だと何も手につかないから、店に来たのです。カフェに価値がなくなれば、速攻で店を出られる勇気をもちましょう。
眠りにつくとき
→極端な話、明日、車に轢かれたらどうしよう等と考えていては何か本当にそうなってしまいそうな気になり、本当に不安になってしまいます。不安を煽るだけの杞憂はマイナスでしかありません。明日は誰をどんなふうに褒めようかとか、明日はどんな良いことをしようとか、誰かの喜ぶ顔(もちろん、自分の顔でも全然可)を想像しながら就寝するとやはり寝つきがいい気がしています。明日の朝ごはんを少し豪華にするだけでも、寝つきと目覚めは格段に良くなります。かといって、もう今日は(やること出来てないけど)いいやといって妥協しながら眠りにつくこともあまりやりたくありませんね。
服屋からの去り際
→まず入店前に明確に、欲しい服のイメージを完了しておく。そして入店する。無駄なコーナーは見ない。靴下、インナーは今日はいらない。僕が欲しいのはカチッとしたシャツとチノパンだ。いい色が無ければ他をあたる。試着する前から明らかに違和感のある服は着ない。試着時間がもったいない。脳内試着を事前に済ませておくと、次スムーズに動ける。店員からの干渉も極力避けたい。よくよく考えれば、きょう出会ったばかりの赤の他人にどうして、僕の最適な外面をコーディネートされなくてはならないのか。そんなプライベートな領域にまで気にせずガツガツ入ってこようものなら、丁重にお断りするだけだ。
人類にとって、男にとって、
去り際とは何なのでしょうか。
終わりよければ全てよし
すなわち、
去り際よければ全てよし
最後の立ち居振る舞いこそ、その人の品性を表すもの。僕はこの記事の執筆を通して、それを再認識したような気がします。ありがとう、僕。
去り際、大事。
書くザトウクジラ、動きます。