明日は朝礼当番だ。まめな読者ならお気づきかもしれないが、我が社の朝礼当番の回ってくる率は異常なのである。今年だけで6〜7回は担当している。つまり二ヶ月に一回のペースだ。しかも全社員である。聞いている方からすれば、貴重な朝の時間をその朝のあいさつに充てているわけなので、一刻も早く締めてもらいたいと思っている。
話している方は話している方で、話が短か過ぎてもよくないよなぁという謎の勢力と戦っている。この両者の平行線ぐあいよ。もういっそのこと、廃止しちまえばいいのにと思う反面、この機会を永遠に失ってしまえば、人前で何かを話すという貴重な機会の喪失となるのだ。それは私としても、なんだか寂しいし心苦しい。じゃあどっちやねんと、人は問うだろう。そう言われたら、やっぱり無しにしてほしいのである。
人前で三分しゃべる大変さはやはり、経験当事者でないとわからない。
どんなにお笑い番組を観ていようが、しゃべりが面白くなるわけではない。
どんなに美味しい料理を食べようが、料理がうまくなるわけではない。
日々是人生
そう思い込めば、日々のどんな局面であっても自分に何かをもたらしてくれる道場となり得る と信じている。
だから、明日の朝の時間も人生経験の貴重な一幕だと思いこめば、きっと…
そうだ、思い込みこそ人生だ…!
…って、そんな人生なんてヤだァ!
結局、ハイパー面倒くさいものはどうしたって、ハイパー面倒くさいのである