書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

仕事よりブログの方が続いている件

 

今の仕事が○社目だから、えーっとまだ一年ちょっとだから、でもってブログ開始が1年10ヶ月だから… って、仕事よりブログの方が長続きしてるじゃん!JAPAN!

 

つまり、仕事 ≪ ブログということ。いや実際、そうだ。楽しさでいうと、圧倒的に。だが達成感でいうと、やはり仕事である。生身の人間に感謝したり、感謝されたりの「仕事」が他の何かに上回られるわけがないのである。おまけに、それ単体で生計を立て、生きていくこともできる。

 

今度は逆に、ブログが仕事に勝っているところについて思いを巡らせてみる。やはりそれは、自由度が圧倒的であるということ。思いついた瞬間に、思いついた言葉を、いかようーに好きなよーに書き連ねることができる。法律にある「表現の自由」をストレートに実感できる一番の場である。あぁ、生きてるという実体感

 

内容も自由。グチもよし、個人的なマイブームでもよし、ちょっとみんなに聞いてほしい〜的なものでも何でもよし。そして、何を書こうが案外誰にも何も言われないことが多い。それは誰が何と言おうと、書き手が読み手に支配されるようなことは皆無であり、読み手が書き手の行動を自由に変えることもまた不可能であるからである。

 

ここは、全てが書き手によって決定されるのだ。だから我々は当然のように、常に新鮮でかつセンセーショナルな物書きができるという訳だ。だから、読み手がブログ選びに迷わないのだ。いつも同じ一定の書き手を選んでくれるのである。

 

その人の書く文章ではなく、その人そのものに惚れ込んでいるから、ちょっとやそっと文体を変えようが、休もうがブログを閉鎖しようが、また暖簾をかき分け根気強く、やって来てくれるのである。

 

これは老舗のラーメン屋のような感覚に違いない。一度でも自分が美味いと認めたラーメン屋はたとえ潰れてもまた復活すればもう一度、いや何度でも、食べたくなるものだ。それは「ただ」待っているということとも少し違う。それは、一方の片想いにかける時間が少しばかり延びただけに過ぎない。

 

仕事とブログなど非なるものだ。同列に書けるはずがない。このようにほぼ最後まで書いておいて、最後の最後に記事のタイトルを全否定したっていい。圧倒的自由な空間では、圧倒的に自由なことをした者が勝つのである。


とまぁ、こういう思考回路をしているものだから、仕事よりブログのほうが続いているのかもしれない。