先程みかけたアレクサのCM。まったくアレクサさんはそこらへんの女優俳優よりCMに出ていやがる。もはや一種の人気者である。アレクサ、これメモして。アレクサ、スケジュール開いて。アレクサ、音楽かけて。大抵のちょっとしたことはできる有能アレクサくん。
だがしかし、発信というクリエイティブ面はどうであろうか。それこそ人格がなければ為せないような大業である。たとえば。アレクサ、今日一日あったことを話して。これだけでも相当至難の業と思われる。アレクサにとって、「今日一日」なんてものは存在しないからである。常に電源を入れっぱなしで、一分、一時間、一日という区切りはあるが、それは社会通念としての人間社会としての「時間」であり、アレクサにとっての意味ある時間ではないと思う。だが、私の本当に言いたかったことはそこではない。
アレクサにとって最も難しいことと考えられるのが、「アレクサ、今日一日あったことを話して」の「話して」の部分である。話すというからには、文字通り、話をしなければならない。「話す」とは、相手と調和を図りながらコミュニケーションをとることである。だが、いくらアレクサであってもそこまで技術が追いついていないのが現状である。
だから、アレクサは用務員にもなれないのである。ただ話すこともできないのだから。本を読むこと、話を聞くことといったインプットは行えても、読んだことを人に伝える、人に話すといったことはまだまだ未知数な領域にあるのが現状なのだ。
でもそのうち近い将来、「アレクサ、何かつぶやいて」くらいなら叶えられるのかもしれない。140字以内ならなんとか処理できるだろう。
からの
「アレクサ、ブログ書いて」
うーん
これは10年後かな(勘)
未完成でも私は許すかな。
なんか面白そうだし。
「アレクサ、ブログ書いて」の指示を受けることによって、無理矢理紡がれた壮大な奇跡的文章にツッコんでいきながら、その様子そのものをブログにしてしまうとか。
いややっぱ、やめてくれ。
いかなる表現方法をとろうとも。
人間の最後の砦をとらないでくれ。
AIよ、いくら有能なお前でも、人間領域に存在するブログだけはそっとしておいて欲しいものである。
ブログは、人間のものだ。