書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

日本人として、映画「けいおん!」を観てきました。

 


f:id:marimoconnect:20190825112720j:image

 

2019年8月24日 MOVIX京都で上映された劇場版けいおん!を観てきた。京都アニメーション第一スタジオが放火され、35人の尊い命がうばわれた事件から37日が経過した。本作は東京、京都の二ヶ所で上映された。


そもそも私は、本アニメについて視聴経験がなかったが、今回は観に行かずにいられなかった。上映日、足を運ぶと入場口の前でテレビ局も待機していた。会場は超満員であった。老若男女問わず、200人以上はいたのではないかと予想される。

 

内容について、キャラ同士の掛け合いがとても丁寧にかつ濃厚に描かれていて、初めて見る私でもすぐにその世界観にとけ込むことができた。しかし、なぜだろう。何気ないシーンで目が滲んでしまう。どうしても、京都アニメーションのことを思わずにはいられない。

 

一体どのような思いでこの映像を、このキャラたちを、この物語を描いてきたのだろうか。そこには、いいアニメを作りたいという一心しかなかったはずだ。それがどうして…という思いが今でもよぎる。だけど、キャラクターたちは懸命にその小さい体を大きいスクリーンの中で動かしていた。

 

クリエイターたちが命を吹き込んできたキャラクターがまばゆいほどに輝いていた。ならば、私たちはこの素晴らしい作品を守らなければならない。語り継いでいかなければならない。事件に心を痛めるばかりではいけない。無論、忘れることなどあってはならない。

 

だが我々にできることはなんだ。画面上で懸命に光る命の灯火を、我々は確かに受け止めることができる。一度生み出された作品は消えない。一度芽生えた愛は消えない。


映画のラストシーン。登場キャラたちが卒業し、後輩のために一曲託すところで京都アニメーションと重なり、私はまたしても涙を堪えきれなくなった。しかし、その二つ編みの可愛らしい後輩は、決して涙など流していなかった。


しっかりと最後まで、卒業しゆく先輩たち4人の演奏をただただ見つめていたのだ。前を向かなければ未来は切り開かれない、とでも言うように。


上映後エンドロールが流れ、幕が上がったとき、会場が拍手に包まれた。少なくとも私は映画館で初めて経験したことだった。


行き場のない思いが、ゆらゆらと空中浮遊していたところにファンの温かい拍手。私はしっかりと前を向いた。