書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

カフェでキーボードを叩く人に親しみを感じる

 


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ふと横の座席の人が文字だけをせっせと打っているのを見ると何故かテンションがあがる。何を熱心に打ち込んでいるのだろうか。むちゃむちゃ気になる。私の職業病のようなものか。職業ではないが。ひたすら何を創作しているのか。大学のレポートならば面白くない。義務だから。日記なら面白くない。限定的だから。ブログなら面白い。ブログだから。


でもあまりに覗き過ぎるのはマナーに反するし、何より私もその状態で居続けるとブログが書けないので、あくまで視界に入ったという体で観察する。しかし結局観察。逃れられない。うんもういいや、職業病で。


ぱちぱちぽち。人の放つタイピング音を聴くのも好きだ。耳を凝らすと、人によって一定のリズムが僅かながら存在するのが分かる。タイピングの押しの深さ、打鍵音の大きさが各者各様なのである。私の場合、わりと力強く押し込む質である。エンターキーなんて穴が空くくらい押し込んでいる。キーがいつエンターしても可笑しくないのである。


リズムが文章をうみだす。思考のリズム、タイピングのリズム、呼吸のリズム。何を生み出すのにもやはり、リズムは重要なのだ。そんなことをふと思う夜である。
 

慌ただしく過ぎるビフォー5。アフター5くらいはゆっくり過ごしたい。未だお盆モードが抜けきれない自分。そんな中、今週はもう2日も社会人を乗り切った。だから今日はプチ贅沢。 

 

呼吸をし続けることは重要だ。だが、呼吸のリズムを変えることは、それ以上にもっと重要だ。

 

無心を育むアフターファイブ

明日の自分に幸あれ