書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

(じぶんを)つくってる。

 

最近、自分が嫌いだ。昔はそこそこ好きだった。今ほど嫌ってはいなかった。人との関係の中で、どうしても気を使ってしまうのだ。だから、僕は家に帰りご飯を食べればすぐに横になる。現実逃避の第一段階だ。そうしていつの間にやら眠ってしまう。こうして僕の現実逃避は完了してしまう。気づけば夜11時。朝まで眠り続けてしまわないのが、不幸中の幸いだ。時間の無駄、若さの無駄、胃袋への負担。長かった現実逃避もつかの間。とっさに後悔が負の遺産とともに両肩に降りかかってくる。これは明らかに仕事によるものではない。ただの「気疲れ」である。気を使う人は、気の加減ができない。今日は気を使うのは50%くらいでいいや、で明日は75%でいいや。そういうふうな目に見える形での調整ができない。だから、気疲れする人というのは、いつでもいつまでも気疲れを引きずっているのだと思う。僕が一人で僕の部屋にいるとき。そのときは気疲れすることは何も無い。誰にも気を使わなくて済むからだ。言い換えれば、なにも自分を飾ってないということだ。下手に自分を作らないこと。そのときが一番気楽である。だからといって、その状態を維持し続けることは無理があり、それは社会から隔離されることと同義なのである。僕はそこまでは望んでいない。ある程度、生きがいを得ていたいし、人に感謝されたいし、なにより自分が生活していかねばならない。己を奮い立たせることで、明日の暮らしが保証されているのなら、それは容易いことだ。しかし、一つだけ言えることがある。今ここに書いていることは、誰にも気を使っていない。強いて言うなら、誤字脱字に気を使っているくらいだ。ここまでの「暴露」ともいえる内容は間違いなく、自分の本心から溢れ出た真実の雫なのである。ごめん、かっこつけた。もう一度強いて言うなら、この部分だけは嘘だということになるだろう。いつもの自分と違うとき、少しでも違和感のあるとき。それは、じぶんをつくってる。この言葉を思い出すと少し楽になれる。自分の外側から、つくってるじぶんを発見すること。それは少なくとも自分を客観視できている証明なのだから。