書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

本日公開!映画「名探偵ピカチュウ」を観てきた感想(ネタバレあり)

 
 
本日 2019年5月3日より公開された、映画「名探偵ピカチュウ」を鑑賞してきた。ポケモン史上初の実写映画、ハリウッドによる制作という本気度が伺える作品であった。残念ながらポケモン世代の友達は各自上京し、地元にいないので、一人で勇気をふりしぼって劇場に足を運んだが、正直そこまでして観に行った甲斐のあった超大作であった。
 
 
まず、予告編を観ていただきたい。
ちなに私はこのPVで映画をみることを決めた。 


【公式】映画「名探偵ピカチュウ」予告①

 
 
 

あらすじ

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 物語はおもに主人公の少年ティムと、ミュウツー、ピカチュウで進行していく。冒頭でいきなり、そのミュウツーをまさに作成しようとするシーンから始まる。ミュウツーとは、幻のポケモン“ミュウ”のDNAを用いて、人工的に作られたポケモンである。だがそれは悪の組織(研究所)による取組みであった。主人公ティムの父親は、早くからその企みに気づいていた。
 
ポケモンと人は一つになるべきだという支配思想をもつ悪の組織と、ポケモンと人は互いに助け合い共存していくべきだという考えをもつ父親との対立
 
こちらが物語の本筋となる。ミュウツー生成の場面において、その企みと秘密を知ってしまった父親は、研究所からの脱出を試みる。しかし、その道中ミュウツーに追跡され、父親が乗っていた車は大破する。そのとき乗り合わせていたピカチュウに怪しげな光線を放つ、ミュウツー。大破した車の中から宙に浮く、父親の体。
 
 父親の訃報を聞いた、息子ティム(主人公)は父親死亡の手掛かりを探るため、父親の部屋を訪れる。そこで待っていたのが、コダックを連れた美人記者と、なんとしわくちゃのピカチュウであった。そのピカチュウはなぜか人の言葉をしゃべる。
 

 

父は本当に死んだのか?

人語を操るピカチュウの正体とは?

悪の組織がミュウツーを利用する本当の目的とは?

 
ポケモンマスターをあきらめた辛い過去をもつ主人公と、ポケモンと人間の成長を描く、夢と希望の物語のゆくえはいかに。というような形で物語は進行していく。
 
  
 

ポケモンを画面の端まで探したくなる

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 冒頭では、いきなりポケモンの捕獲シーンを見させられて、否が応でもボルテージはマックスへ。現れたのはカラカラだ。例のごとく、彼の習性により、泣きじゃくっていた。主人公ティムは、ポケモンマスターの夢をあきらめた過去がある。初めはカラカラの前を通り過ぎようとしたが、友人からモンスターボールを手渡された主人公ティムは、その気になる。目の前にポケモンがいて、手にはモンスターボールを持っていいる。もう、やることは一つ。どんな過去を持っていようと関係ない。人は無条件にポケモントレーナーになってしまうものなのだ。
 
 そう本作の特徴は、これでもかというほど新旧問わず様々なポケモンが登場することだ。主役のピカチュウとミュウツーはもちろんのこと、フシギダネ、リザードン、ギャラドス、メタモン、バリヤード、ベロリンガ、エイパム、ドゴーム、ブルー、ピジョン、ヤンチャム、ドダイトス、ゲッコウガ等多数。最新世代のサンムーンのポケモンまで登場してくれたことは驚いたし、見ていて全く飽きなかった。
 
 自分の知っているもしくは、好きなポケモンが登場するとやはりつい嬉しくなってしまう。ときにストーリーそっちのけで、画面の隅々までポケモンを探したくなる。そしてどのポケモンも恐ろしいほど再現度が高かった。みずタイプのポケモンは、本当にヌメヌメしてそうだったし、メタモンのジェル感もすごかった。ただそれ以のポケモンたちは基本的にもふもふしており、親しみやすさは出るのだが、ちょっとぬいぐるみ感が出過ぎていたことが僅かに気になった。もふもふ化したポケモンはもれなく炎タイプに弱そうだった。
 
 


名探偵ピカチュウ - 3DS

 

 
 
 

しっかりとポケモンのDNAが受け継がれた名作

 

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 ミュウツーとピカチュウの一騎討ちシーンや、父親と主人公の感動的な結末は、強く胸を打った。モンスターボールに入らずに、人々と共存していく世界観にも癒やされ、のめり込むことができた。モンスターボールに入ろうとしないポケモンってなんか、萌えませんか。本作に限っては、ポケモンに対する知識など不要だと感じる。ポケモンというよりも、本作では“パートナー”としての存在の意味あいが強い。誰であっても、パートナーのことを傷つけられたら悲しいし、パートナーとずっと一緒に生きていくことを望んでいるだろう。つまり、この映画は、そういう温かな思いを抱いている全ての方々に、またハートフルな体験を最近しなくなったな、という方々にこそ観てほしい作品となっている。
 
 そして、製作者の愛は本編に留まることを知らず、エンディングにおいても、ポケモンへの愛が爆発していた。エンディングでも全力を注ぐ映画って、今どきちょっと珍しい。彼らが突き動かされるもの、それは限りなく「ポケモン愛」なのであろう。ポケモンが日本にあって、良かった。ポケモン金銀世代の僕でも夢中になれる世界がスクリーンにはありました。ポケモンよ、永久に不滅であれ。ポケモンが「夢」の代名詞になる日はそう遠くはない。