書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

働きたい働きたい働きたい働きたい働

 

【書くザトウクジラ管理人にしては、今回めずらしくネガティブ要素を多分に含みます。ご注意を。】

 

もうまじむり。やばいって。
もう9月も三分の一がおわった。


いったい俺はいつから転職活動してるんだろう。
思い出すのもイヤになる。
そうか。約7ヶ月になるんだっけ。


本当にマズイぞ。どうしようか。
この前の面接では、もうこんなに長いこと就職活動されてるんですね とかサラリと言われたし。

 

それって明らかにマイナス要素でしかないってことだ。やっぱ世間一般常識からみて、普通の働くサラリーマンからみて、普通じゃないんだな。これだけの期間、職探しをしてるのってさ。

 

そうかとおもったら、ここ最近涼しくなってくると、実家から毎週のように、大量の物資が送られてくるし。いや、ありがたいよ。ありがたいんだけど、なんか重いんだよな。物理的な意味ではなく。これプレッシャー。


心配かけちゃってるんだなって。


べつに今までだって、今だってサボってるわけじゃないんだ。やるときにはやってる。やるべきときには、やるべきことをやってきたし、今もやってるつもりだ。


この前なんて、内定を立て続けに2個ももらえた。この事実がなければ、どうなっていただろうか。いや結局その会社には行かなかったんだけどさ。


社風、社長の印象、業務内容は悪くなかったんだけど。やっぱり転職中の身だからさ。待遇面をいの一番に気にしちゃうんだ。


そういえば、初々しい頃の就活は何よりもヤリガイを重視してたな。だから、志望動機を述べるシーンでも、その言葉ばっかりに目がいって、ほぼそれに洗脳されてた、みたいな感じだ。

 

洗脳されてるぶん、ある意味いろいろ考えなくてラクだった。ただ、そのときのツケが今になって回ってきてるとも言えるんだけど。


今では、聞くべきではない空気感のこともズケズケ採用担当者につっこんでいる。


だけど、当時と今を比べてもしょうがないのかもしれない。所詮は、記憶をただ引き継いでいるだけの自分という一貫した器にすぎない。その中で、何が成長したとか、ここがダメになったとか。

 

それは完全に主観でしかない。今まで主観に頼りすぎた。主観がすべて というふうになってしまえば、マズイぞ。どんどん自分の殻に閉じこもって、堅くしていくだけだ。


ますます他者とのコミュニケーションが営めなくなる。それなのに、どこぞの零細企業から大企業まで面接という採用手段をやめない。


いや、部外者を身内として引き入れるとき、面接は必要だ。これにはまったく異論がない。ただ、そう書いてみたかっただけだ。

 

面接という方式がこの国で終わらない限りは、最低限のコミュニケーション能力と、学力、そして常識力を維持しなければ。


はあ。何と戦ってるんだろうな。俺って。


筆記試験の内容も、その会社にいる人間も、場所も、業務内容も、会社規模も、売上も。企業ごとでバラバラだというのに。


書類選考に通る。
面接来てくださいってなる。
面接受かれば筆記試験ですってなる。


書類選考に通ってからの各過程のインターバルが1週間もない。本当に対策なんて、無。付け焼き刃。


それで、たまたま、面接官や社長とフィーリングが合ったからといって。たまたま筆記がよくできたからといって。


その会社に決定していいものなのか。
1度きりの人生を託していいものか。


今度こそ定年まで働きたい、働ききりたいという熱意はまだある。


だが、その赤い炎さえ、翌朝目覚めたときにふっと立ち消えてたらどうしよう。


そんな価値基準でしか自分を計れない自分がこわい