書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

時間の喪失感をブログ更新でうめる

 
一日中の時間を捧げても処理しきれないコンテンツの量
 
ちょっとだけ、ちょっとだけ も
積み重なれば 日が暮れて
気づけば手帳も頭もマッシロに
 
音楽、お笑い、ゲーム、ライブ配信、勉強、読書、こんなとってつけたようなマジメゴトも含めて。
 
夢中になりすぎるとき、私は呼吸を確認する。無意識状態のときは、呼吸の自覚すらない。我に立ち返るときに必要な有効手段だと思っている。何かに気を取られすぎるときこそ、呼吸を確認する。
 
今日は比較的そんなことが頭をグルグル回っていたので、この時間の喪失感、虚無感を取り戻すためにブログを書いている。
 
アウトプットの場合も無我夢中になると、呼吸の認識が難しくなるが、冒頭で述べたインプットとはまた異なる類であると思う。
 
 
昔、誰か専門家が
「一日中テレビを見ることは、一日中カベを眺めつづけることに等しいことだ」と言っていた。
手軽なインプットの筆頭格がその有様だ
 
アウトプットはまだ頭が働いている方かな、と信じている。だって今こんなにネットスペースに書き付けているのに何も報われないなんて嫌だ。
 
今日は虚無感をなくすためにブログ書いてるのに、余計に徒労なんて感じたくない。人間には自分に好都合な情報を優先的に選びとる傾向があるようだ。
 
 
喫煙者が気にするのは
喫煙と死亡率の関係ばかり
長生きできるならいいではないか
 
周りの家族を考えてほしい
喫煙中に発生している副流煙はどうなる
寿命に関係ないなんて結果論であって途中で肺がんにかかるリスクも大いにあると言うのに
 
 
私が数年前に禁煙できた理由はいたってシンプルなものだった。いつ吸ってもウマイなんて全然面白くない!そんな理由からだった。心の底では禁煙したくて禁煙したくてたまらなかった。 だけど普通の理由でやめるなんてつまらないとも思っていた
 
一風変わった理由でやめられたら、家族や友達に笑い話にされておいしいし面白い。で、今日まで禁煙に成功している。
 
何か物事を起こすときの理由そのものなんて
本来どうでもいい物なのかもしれない
 
今日だってブログ書く気は10分前までは皆無だったし、なんなら今日は誰かのブログでさえ見ようとも思わなかった。なんならはてなアプリすら開かないだろうなと思っていた。いつも本当に、きっかけなんてものは単純で稚拙でくだらないものだ。「いま」が良かったら全てはそれでいいのさ
 
今日というこんな体たらくな一日の喪失感を埋めたいがため、たったそれだけ
 
アクセスを増やしたいため
更新記録を途絶えさせないため
みんなにドヤ顔したいため
自己満足のため
 
今回は限りなくその最後の4つ目の理由である
 
もはや読ませる気ゼロの無骨なログ
略してこれがほんとうのぶろぐ
 
人と違う理由じゃないと燃え上がらないのは昔からかな
 
こういうとき私の頭の中でよく新庄剛志が登場する
彼がプロ野球選手になった理由
 
それは、一番難しいスポーツだから
というのを聞いたことがある
 
野球選手かつエンターテイナーでもあった彼らしいエピソードだ
エンターテイナーとブロガーって華やかさがまた違う部類だけど
 
そうか、なるほどわかった。
ブログやってます より
エンターテインメントつくってますの方がモチベーションあがるかも
 
 
ここまで書くのに30 分かかったんだけどこの時間は喪失した感じは一つもしない
何かを生み出したからなのか、達成感から来るものなのか分からない
 
分からないが
今日も僕は、せっせと何かよくわからないものを掘り起こしたみたいだ
ただし今日は自己満足要素を多分に含む
 
100年後はみんな違う人々
寝る前はみんな自分のことを考える
 
いろんな顔をもってないと
いろんな人生は送れないって今日も思うよ、つくづく
 
あなたもたまには
虚無感だけでブログ
かいてみませんか
 
取って付けたよう
最後の最後でタイトルを思い出して吹く
めっちゃスリリングだこいつは
いや、ただのバカかもな