絶賛話題中の石田ゆり子さんのフォト&エッセイ集。
私はその商品よりも、帯の言葉のほうが気になった。
もちろん、アンチ石田ゆり子さんというわけではないが。
帯にはコピーライター糸井重里さんの言葉でこう書かれている。
❝ こんなに素直にたくさん書いてくれたけど、ゆり子さんのよさを、いちばん知ってないのは、ゆり子さんだという気もするのだ。❞
ゆり子さんのインスタグラムを見ていると、下記のような発言も見つかった。今回のエッセイ集への糸井重里による寄稿によって、二人の良好な関係性がよくわかる。
石田ゆり子さんはInstagramを利用しています:「わたしの尊敬する糸井重里さんの 大切なことばを 朗読させていただきました。 ほぼ日刊イトイ新聞で ぜひ。」
なかなか最近は、帯で見せる単行本もすくなくなってきたように思っていた。本の販売自体がまだまだ多くあるということは喜ぶべきことだ。しかし、ガツンとくるキャッチコピーを作るといえば、やはり、この人しかいなかった。
書店でひとめぼれした。一瞬だった。電撃が走った。いわゆる恋だった。こんなふうにダサくなるくらい、感化されちまった。
書店にて流し目でみるのと、こうやって、ブログに自分で打ち込むのとでは大違いだ。一言一句まるっと、糸井重里の文を記す。
もはや、この人の脳内からあふれた言葉は「書く」というより「刻む」のほうが適切なのかもしれない。
形式的なことを言うと、
句読点の位置、ゆり子さんと2回言う、知っていないではなく「知ってない」
すべてに意味があるのだろう。
適所な句読点は、ゆっくり読ませて、心にすーっと沁み込むように。
2回のゆり子さんは、糸井重里自身の親愛のきもちをこめて。
「知ってない」の表記の方が、より口語調であり、やわらかく親しみがある。
内容のほうは言わずもがな、である。
心にじんわり訴えかける様子に、読み手のこちら側は、思わず言葉少なになってしまう。
石田ゆり子さんはきれい!かわいい!若く見える!という類のことを言っていないのは間違いない。あくまで、このキャッチコピーは本人の内面的な良さを、言っている。
それに気づいていない、本人。
つまり特別に意識せずとも、周囲を晴れやかにする素質のようなものをもっている。結果的にそれが、女優「石田ゆり子」を特別な存在せしめているのだろう。
おじさんのコピーライターは独特の哀愁ただよう。
村上春樹も、東野圭吾もすごい。多くの文字と物語で人々を魅了する。
対して、糸井重里がもっているものは一風かわっている。文字と句読点だけだ。
驚くべきことに、その人はたった数十文字で私たちを、空想世界に連れて行ってくれるのだ。それも永久に。
それは何度も人々の胸中で反芻されながら、落とし込まれ、体や脳で生き続ける。
全文記憶され、心に残り続ける物語を書くのが、コピーライター糸井重里なのだと思う。