書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

死んでからしたい10のこと

流行りの逆をいきました

 

死ぬまでにしたいことなんて、耳タコですから

 

死んでからしたいことを考えよう

 

これについてはみんな、案外かぶらなさそう

 

死ぬまでにしたいことは無限にあるから

 

どうせ、子孫の守護霊をやりたいとか

 

ちゃんと成仏されたい

 

生まれ変わったら鳥になりたい

 

それから、子孫に毎年お墓参りに来てほしいとか願ったりして

 

うん、どのみち相当限られている

 

みなさんも死んでからしたいことありますか?

 

まあ大体こんな感じだと思いますが

 

死はそういう意味で、皆に平等なのかもしれません

 

で思いは現世へと還ってくる。今の自分がいい仏になるためにもっと頑張らないとと思い、現世においていっぱい徳を積もうとするんですね。

 

そうして、バカなあり得ないことを考えたあとは、賢くてあり得ることを考えたくなる。それが、あなたのほんとうの「生きているうちにしたい10のこと」である

 

今日の思考が10年後の自分をつくる

今日、一時間、一分、いまこの瞬間。最小単位までこまかく細分しても、人はどこかで、そのときどきで、何かしらの思考を繰り広げているものだ。有意識の思考でさえこうなのだから、無意識の思考も合わせるとその数は膨大になるだろう。そんな途方もない時間をかけている思考が未来の自分を形作らないわけがない。瞬間の思考から、人生が転じることもある。そうすると、今日の思考が10年後の自分をつくるという言葉も現実味を帯びてくるであろう。いま多少背伸びをしてでも、未来のために良い思考を蓄積したいという一つの思いだけで、日常的に思考を研鑽する方へいけるのだと信じている。

幸せを邪魔しないで

最近めちゃくちゃメッセージが多い。とくに母親の方。昨年私が結婚してからとくに量が増えたように思う。今日はスマホに買い替えたので、LINEの友達追加依頼ということでCメールが来た。唐突のことだったので、無視した。Cメールの利点は、たくさん来ても既読がつかないところが良かったのに、LINEだと既読すらつけないことが相手にバレてしまうではないか。すると、余計に相手は心配し→さらに送られるテキストの量が増える最悪の悪循環ではないか。毒親を超えた、猛毒親。しかも自覚なし。息子の幸せを奪うなんて、自由を奪うなんて。息子にじぶんのこと嫌いって言わせようとしないで。傷つくのはじぶんなのだ。じぶんで気づいてほしいのに、息子に猛毒を履いていることに。

空を見上げるだけで大抵の悩みは解決する

はーっ、今日も疲れたなあという時。たまらず好きな音楽を聴く。世知辛さを感じたときに最初に聞く曲はミスチルHANABIだ。すでにイントロから、鉛のような心を少しずつ溶かしていってくれる。最高の一曲だ。しかし、素晴らしい音楽の力をもってしても、無駄だということが分かったとき。そこで"空"の出番だ。空を見上げるのに"1秒"すらかからない。首をわずかに上下させるだけで、海岸の砂粒よりも多いとされる満天の星々がみえる。広大無辺な宇宙において、たくさんの星が、生まれては消えてを今現在今この瞬間も繰り返している。この地球における一つ一つの小さな出来事も、そのような規格外の空間の中の出来事なのだと捉えられる。そして、そもそも物事に大小などなく、そこにあるのは物事を捉える感じ方の大小なのだ。いずれにしても、身近な出来事はしょせん宇宙の出来事の一部なのだと捉えると、いい意味で気持ちが楽になり、なんだか本領発揮できそうな、そんな気がするのだ。いわば、言葉にできない自信というやつだ。

人生とは今日一日のことである

こんな昔の言葉を今思い出した。一日を大事にできない人は、人生をも大事にできない。朝これを思い出してもいいし、夜に思い出してもいい。一日を目一杯生きようとする姿勢は、しぜんと人生全体を心の底から謳歌することにつながるであろう。ごめんなさい、これはあとづけです。この言葉に関しては深く考えなくても、勝手に胸に突き刺さってくる。人生が永遠だと思ったか?一日が一瞬だと思ったか?そんなわけあるまい!とこの言葉は嘲笑っているかのようだ。本音を言うと、一日が一瞬ではないし、人生が永遠でもない。だが、少しよそ見をするとすぐに足元を掬われ、深い穴に突き落とされる、そんな恐怖感もこの言葉からは感じる。人生とは今日一日のことである、一月に一回は思い出したい言葉だ。大変恐ろしいけども。なんてったって、自分の今置かれている立場によって、汲み取る意味がまったく変わってくる言葉でもあるからである。